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生きるということ。命のリレー。 [徒然]

私のおばあちゃんは御年94歳。
現在、都内の病院に入院しています。
だいぶ病状がよろしくないと聞き、
お見舞いに行ってきました。

祖母はかなり前から認知症を患っており、
記憶する限りでは、7年前には既にそういった施設に
お世話になっていました。

残念ながら、私のことは当時から忘れ去られていた為、
施設に足を向ける機会もそれほどありませんでした。

2010年におとぽんが生まれ、育休中だったこともあり、
その頃には何度か施設へもお見舞いに行きました。
私のことは、どこのお姉ちゃんが来たの?って感じでしたが、
おとぽんのことはしっかり認識し、
ものすごく可愛がってくれます。
おばがおとぽんの写真を綺麗に病室に
飾ってくれていたことも影響しているでしょう。

1年前までは、まだまだ身体は元気にしていた為、
ひとりで訪問することも出来ず、
(知らない人が来たと暴れる可能性もある為)
訪問する時にはおばと同行していました。

今回、お見舞いに行くにあたり、叔母に連絡したところ、
予定があえば同行するし、あわなければ、
場所をお知らせするので、行ってきてねとの返事。
勝手に行ってもいいということは、
病状がよろしくないのだなと理解します。

お見舞いを予定していた日は叔母の都合がつかないという
ことで家族3人で見舞いに行きました。
叔母に合わせて1週遅らせることも考えましたが、
思い立ったが吉日。翌週体調を崩すこともあるし、
行かなかったことで後悔するのも、ね。

行ったときには目を開いていたおばあちゃん。
おとぽんは病院の雰囲気が怖いらしく、
帰りたいと騒ぎたてています。
無理しても仕方ないので、パパと早々に退室。

病室にもおとぽんの写真が置いてあるようで、
看護婦さんが、「あの写真の子かな?」と話していたので、
そうなんです、写真の子ですというと、
「だいぶ大きくなったね。病院が怖いのかな?」というので、
「そうみたいです。」と答えると、
「そっか。せっかく来たのに、なんだか切ないね。」と言っていました。

みんなが立ち去った後、
「おばあちゃん、おとぽん、見えた?わかったかな?」と聞いたら、
声にならない声で何か言ったかと思ったら、
もう夢の世界へ帰っていきました。

私たちの物音で目が覚めたのか、
偶然起きていたのか・・・よくわかりません。
起きて待っていてくれたと信じたいですが、
なかなか来ないことを叱っていたのかもしれないですね^^;。

saku01.JPG
(万年桜~10月第3週の皇居にて~)

残念ながら、ベッドに繋がれている状態の
おばあちゃんを見ながら、命はこうやって繋がってきたのね。
繋がっていくのね・・・とその場を離れがたくなりました。

夢と現を行き来して、身体の自由が効かなくて、
自分の意志も思うように発揮出来なくなって、
生きていく意味ってなんだろう。

周りの人のために生きているのか?
自分は何のために生きているのか?
リビングウィルを残した方がいいのか?・・・なんていう、
ドライな感想まで、重く考えさせられました。

そんな姿を見て思ったのは、
生きるとは、生きるだけで真剣勝負なんだなということ。

とりあえず私が出来ること。
叔母におとぽんの写真を送ることだな。
3週間ほど前、父が訪れた時は、
奇跡的に体調が良く、お話が出来たというおばあちゃん。
(これまた遠方でたまにしか来ないのを待っていたのかという出来事です。)
父がおとぽんの写真を見せると、
「ひ孫、おとぽん!」と連呼していたとのこと。
記憶が1分と持たないので、両面に綺麗に飾られた写真を
30秒ごとにひっくり返してみせたら、
まるではじめてみたかのように反応していたみたいです。

大きくなっちゃって、また認識されないかもしれませんが、
新しい写真を叔母にまた送ろうと思います。

今あることに感謝しよう。
今日一日を自分らしく悔いなく歩もう。



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